『惠 淫花のしたたり』
 
                    Shyrock:作
第3話

 惠と由紀は1時間かけて温室を隈なく探した。
しかし、小猫クロの姿はついに見つからなかった。

 温室内を一周廻ったふたりは出入り口近くに戻った。
猫が見つからなかったことで、さすがに由紀は元気がなくがっくりと肩を落としてい
る。

 「クロ、いなかったね」
「先輩、どうもありがとうございました。それにしてもどこに消えちゃったんだろう
?」
「もしかしたら、もう表に出ちゃったんじゃないかしら?」
「そうだといいんですけど」
「きっとそうよ」
「そうですね」

 「明日になると、どこかから『にゃぁ~』って現れるわよ、きっと」
「はい!そう信じることにします!」
「じゃあ、私、今からゲンカイツツジの観察しなければならないので、この辺で」
「あ、先輩の貴重な時間取っちゃってごめんなさい。本当に長い時間、私に付き合っ
てもらってありがとうございました」
「いいのよ、じゃあね」

 由紀は惠にペコリとお辞儀をして、温室を出ていった。
1人残った惠は立ち止まって、しばらく思考を巡らせていた。
(クロが消えたことも気になるけど、例の『植物X』のことがすごく気になるわ。先
日教授と見た時、人の顔に見えていたのに、どうして今日、猫の顔に見えたのかしら
・・・。これはきっと何かあるわ。 え・・・?まさかぁ・・・・・・)

 もしかして、由紀が言っていたことは真実で、クロはあの『植物X』に食べられて
しまったのではないだろうか?
惠の表情が一瞬強張った。
(でも、そんなこと、あり得ないわ・・・)

 確かに広い世界には肉食植物、別名食虫植物は存在する。
肉食植物は表面で昆虫を捕らえ殺して分解し、そこから何らかの栄養分を取る仕組み
になっている場合が多い。
また、花が虫を捕らえるのは、たいていの場合は花粉媒介をさせるためで、しばらく
すると放してやる仕組みになっており、必ず食するとは限らない。

 つまり、肉食植物が昆虫等を捕らえて食べることはあっても、猫等の大きな動物を
食べるなんて話は聞いたことがない。
惠は直ぐにSF染みた発想をしたことを自嘲した。
生物理工学を学ぶものとして、植物が猫を食べるというような奇想天外で非科学的な
話を信じるわけにはいかなかった。
 
 (しかし・・・)
では何故、花弁の様子がわずか数日で変わってしまったのだろうか。
人の顔に見えていた花弁が、今日見ると猫の顔に見えたのは、目の錯覚だったのか。
惠は謎めいた『植物X』の謎を解き明かしてみたい衝動に駆られた。

 (もう一度行って確かめてみよう)
出口近くまで戻っていた惠は、再び、『植物X』のあるコーナーへと向かった。
もう一度見てもやはり猫の顔に見えるのか?それとも先日教授と見た時のように、人
の顔に見えるのか?

 一歩ずつ『植物X』に近づくにつれ、惠はかすかな震えを抑えることができなかっ
た。
(でも、もしも猫が食べられていたと仮定して、どうして花弁に猫の顔が現れるのだ
ろうか。そんなこと考えられないわ・・・。それにもしあの顔がクロだとしたら、先
日の人の顔は・・・・・・?きゃっ!そんなこと考えたら足がすくんでしまったわ・
・・)

 惠は立ち止まった。
戸惑いの表情を見せている。
(もう行くの、やめようか・・・?すごく恐くなってきたわ・・・でも、ここまで来
て引き返せないわ!よし、行くぞ!)

 惠はミュール履きの素足を踏み出した。
まもなく『植物X』が目前に見えてきた。
それにしても大きな植物だ。
そこらの潅木よりもずっと立派だ。
惠は『植物X』をじっと見つめた。


                

   この作品は「愛と官能の美学
」Shyrock様から投稿していただきました