『惠 淫花のしたたり』
 
                    Shyrock:作
第2話

 温室はかなり広大で約千平方メートルの広さがあった。
温室内には海外の珍しい草花や果実もあり、日々、生徒たちが栽培と研究に精を出し
ていた。

 数種類のランをはじめ、クロッカス、カロライナジャスミン、ゲンカイツツジ、ハ
チジョウキブシ、ハナモモ、ヤマブキ等が咲き、亜熱帯室ではヤシが大きく育ってい
た。
また、コーヒーの実、パイナップルの実、バナナの実等も生っており、ちょっとエキ
ゾチックな雰囲気が漂っていた。

 惠と由紀が通路を進んでいくと、ランの近くで数人の男子生徒の姿が見られた。何
やら研究をしているようだ。
「ねえ、あなたたち、この辺に猫が迷い込んでこなかった?」
「猫?ふうん、見かけなかったけどなあ。どんな猫?」

 すぐに由紀が返答した。
「黒い猫なんです。まだ子猫なんですけど」
「そうなんだ。見なかったなあ・・・。おまえ見たか?」
「いや、俺も見なかった」
「そうなの?うん、ありがとう」
「まだ中にいるの?見たら連絡するよ」
「うん、ありがとう」

 生徒たちの証言を信じるならば、この先へ進んでも仕方がない。
温室は広いので効率よく探さなければ時間が無駄になってしまう。
惠たちは今来た通路を引き返すことにした。
惠たちは温室を入って直ぐに右の通路を進んだが、猫は反対側のエリアへ迷い込んだ
のだろう。
反対側には、例の新種『植物X』が保管されている。

 惠たちは温室の入口附近まで戻ると、左側の通路へと進んでいった。
「まあ、きれい~」
由紀は途中立ち止まり、ひとときランの持つ気品と華麗さに見惚れていた。

 「この花、ランですよね」
「そうよ」
「ランって沢山の種類があるんですってねぇ」
「よく知ってるわね。ざっと2万種類あって、日本にあるのはそのうち170種類ぐ
らいなのよ」
「へえ~、さすが先輩」
「えへ、実は私も最近憶えたのよ。あははは~」

 惠はペロリと舌を出して笑った。
「そうなんですか?あははははは~」
「そんなことより早く猫を探さなくては」
「あっ、そうでした!でもどこへ行ったのかなあ」
「ここは広いから見つけるのはちょっと大変かもね。でもおなかも空くだろうからき
っと『にゃ~ん』って現れてくるわ」
「そうだったらいいんですけどねえ」
 
 惠たちはランのコーナーを立ち去り先へ急いだ。
「クロ~!どこなの~?」
「クロ~。出てらっしゃい~」

 いくら呼んでも猫が現れる気配はなかった。
通路をどんどんと奥へと進んでいくうちに『植物Ⅹ』に差し掛かった。

 「先輩、あの花すごく変わってますねえ」
「あれは大学の研究チームがつい先日南米から持ち帰った花なの。変わった花でしょ
う?」
「先輩・・・」

 由紀は青ざめている。
「どうしたの?」
中央が人の顔に見えることで、由紀は怯えているのだろうと、惠は思った。

 「あの花・・・花びらの中心のところが猫の顔に見える・・・」
「ええっ!ね、猫に見えるって!?」
惠は真っ直ぐにそびえた背の高い『植物Ⅹ』の花弁を見て愕然とした。
「ま、まさか・・・!?」

 先日惠が教授とここに来た時、『植物Ⅹ』の花弁は人の顔に見えていた。
ところが今見てみると、由紀が言うように花弁は確かに猫の顔に見えている。
わずか数日の間に花弁が大きく変化して、猫の顔のようになってしまったと言うのだ
ろうか。

 それは絶対にないとは言い切れない。
まだまだ名前すら付いていない未知の花なのだから。

 「もしかして、クロ、この花に食べられちゃったのでしょうか?」
「そ、そんな馬鹿なことないわ!教授もそのような危険な花だとは言ってなかったし」
「そうなんですか。じゃあ、クロ、どこへ行っちゃったんだろう・・・」
「きっと現れるわ。『にゃ~ん』って」
「そうですね。あは」
「じゃあ、先へ行こうか」
「先輩すみませんね。忙しいのに付き合ってもらって」
「いいのよ」

 「クロ~!」
「出ておいで~、クロ~」
惠たちは隣のコーナーへと向かっていった。


                

   この作品は「愛と官能の美学
」Shyrock様から投稿していただきました