『放課後の憂鬱』

                               ジャック:作
第10章「陥   穽」(1)

 みんなが撮影の準備に取り掛かっている中、藍はまだキスの余韻に浸り、ボーっとし
ていた。
「藍、藍ったらぁ! ボケッとしてないで手伝ってよ!」
ゆうこがぼんやり立っている藍に言った。
「・・あっ! ごめん・・」

 藍は慌ててみんなに混じって、準備を手伝い始めた。
手伝いながら、藍はゆうこをちらっと見た。ゆうこは何事もなかったかのように作業し
ている。
吉田もゆうこと同じように準備をしている。

 藍は二人が抱き合っていた光景を思い出していた。
(・・そうかぁ・・吉田君とゆうこ、付き合ってるんだ。なんか・・いいなぁ)
藍はまだ特定の男性と、同じ年頃の男性と親しく付き合ったことはなかった。
仕事と学校を忙しく行ったり来たりしているのだから、それは仕方のないことだった。

 しかし藍の年頃で「彼氏」が欲しいと思うのは当然だった。
だから藍は、吉田とゆうこのことを考えると、羨ましくて仕方なかった。
藍はキスをされたことで、ますます高科のことが気になっていた。いや、好きになって
いた。

 準備を手伝いながら、今度は高科の方を見た。その時、高科も藍を見ていた。
藍は高科と目が合ったのが急に恥ずかしくなり、目を背けた。しかし、すぐにまた高科
を見た。
すると高科は、まだ藍のことを見ていた。
(・・・先輩とまた目が合っちゃった・・もしかしたら・・ずっと見てる?)

 高科が藍の方へ、さりげなくやってきた。そして、藍の頭をこつんと叩くと、「ちゃ
んとやってるかぁ?」と微笑みながら言った。
「や、やってますよぉ。」
藍がそう答えると、高科はウインクして見せた。

 それを見て、藍は嬉しくなった。
(もしかしたら、先輩もあたしのこと・・)
「先輩!OKっす!」
吉田が高科に言うと、教室の蛍光灯が消され、代わりに撮影用の照明が点けられた。

 「よーし、じゃあ始めるか。伊藤はカメラ、吉田はこっちで俺のサブ・・」
高科の指示でみんな位置につき始めた。
 照明の消された部室は薄暗い。部室の窓は全て暗幕で遮断されていた。が、撮影用の
照明が当たる部分は異常に明るかった。

 床の半分は体育のときに使う、灰色のカバーを被せた弾力のある厚いウレタンマット
が敷かれていた。それを先程組み立てたセットが3方から取り囲み、灰色の壁のようだ
った。
まるでその部分は監獄か、取調室のような雰囲気だった。撮影用の照明が、その部分に
強烈な光を投げかけていた。

 藍が部屋を見回すと、さっきまでの明るい雰囲気が一変しているので、胸がドキドキ
してきた。得体の知れない不安が湧き上がってきた。
「藍ちゃんは・・・」
高科が藍の方を見て言うと、藍はすぐに返事をした。

 「はい・・」
「まず、ここに立って。照明と音の確認だ。伊藤、どうだ?」
藍は高科の指示された場所に立った。
セットの中央だった。あちらこちらから照明に照らされ、眩しかった。照明の外にいる
高科達が、よく見えなかった。

 伊藤はカメラを覗き込んでしきりに調整している。
「う~ん、OKです。」
伊藤の返事を聞くと、高科が藍に声をかけた。
「さぁ、藍ちゃん、そろそろ着替えてもらおうか。」
「えっ? 着替えるんですか?」

 藍は朝、高科と会った時に「制服のままでいい」と言われていたので、怪訝な面持ち
で聞き返した。
「うん。着替えてね。」
「・・はい。わかりました。じゃあ、着替えてきます。」

 藍は解せなかったが、素直にそう返事をした。
(更衣室に行って来なくちゃ・・・)
(あっ、その前に教室から体操服とって来なくっちゃ・・・)
 藍は、最初から言ってくれればいいのに・・と思いながら、歩き出そうとした。

 その時、ゆうこが呼び止めた。
「ちょっと、藍ってば。どこ行くの?」
「えっ? 更衣室に・・・」
「行かなくていいわよ。」
「だって、着替えろって・・」
「更衣室じゃなくってぇ・・ここで、着替えるの。」

 「・・ここで?」
「そう。ここで、よ。みんなの前で、着替えることになってるの。」
「そんな!?」
 藍は戸惑ってしまった。ゆうこの言う意味が分からなかった。

 すると、今度はさちが寄ってきて話しかけた。
「藍が休んでる間にね、また台本変わったの。今日はね、主人公が捕えられて、囚人服
に着替えさせられるトコロ、撮ることになってるの。」

 ゆうこが更に続けた。
「相談できなくって悪かったけど、藍ったら学校来なかったから。それでねぇ、看守役
と区別するためにさ、体操服じゃなくってぇ・・・これに着替えて欲しいんだけど。」
そう言って藍に、紙袋を手渡した。

 「・・これって?・・」
 藍は袋の中を取り出すと、目の前に広げてみた。光沢のあるオレンジ色のレオタード
だった。手にとってみると、ゴムのように伸縮性のある、かなり薄い生地でできていた。

 藍は慌てて高科に言った。
「ここでって・・そんなの・・いやです。できません!」
高科が急に険しい顔をみせた。声も低くなっている。

 「なに、出来ないって?・・・困るなぁ。二日も休まれて、ただでさえ時間ないのに
・・・そのうえわがまま言われちゃなぁ・・」
「わがままって・・・そんな!」
「だってわがままじゃないか! ここまで撮ってきて、今更出来ないなんて言われたら
・・俺たち頑張ってきたの水の泡なんだぜ? 違う?」
「で、でも・・ここで着替えるなんて・・」

 すると、横から吉田が口を出した。
「藍ちゃんが恥ずかしいってのはわかるけどさぁ。藍ちゃんはもうそんな事、言えない
んじゃないかなぁ。まぁどうしてもいやだって言うなら、こっちにも考えがあるけどね」
藍は高科が怖い顔になったまま黙っているのと、吉田のいう「考え」がどんな考えなの
かわからず、ますます不安になった。

              

    この作品は「ひとみの内緒話」管理人様から投稿していただきました。