『自衛官の妻』

                          二次元世界の調教師:作

第2話 忘れていた男

 「あの男」佐々木から突然忌まわしい電話が掛かって来たのは一月程前だ。
佐々木は以前俺や千恵利と同期で自衛隊に入隊した男だが、俺とは恋敵に当たるのだ。
当時数人しかいない同期の女性自衛官の中で、いや周囲を見回しても匹敵する相手が
いないくらい、千恵利は抜群の容姿を持つ女性だった。

 アイドルみたいな整って華やかなマスクと言い、女性としては高身長でスーパーモ
デル級のスタイルと言い、どうしてこんな女性が自衛官なのか誰もが目を疑ったと思
う。

 おまけに英語はペラペラだし、何をやらせても有能な彼女はすぐに皆の憧れの的と
なり、同期の男連中は何とかして彼女とお近付きになろうと躍起になった。
そしてその中でも、最も積極的にアプローチしていたと思われるのが佐々木だったの
だ。

 佐々木は別の意味でやはり自衛官らしからぬ男で、ひょろっとした長身のイケ面で
優男だった。
そんな外見だがやはり優秀な男で、とりわけ語学と生化学系の知識に長けた頭脳派だ
った。
こうしてやはりすぐに頭角を現した佐々木と千恵利は、客観的に見ればお似合いのカ
ップルであり、佐々木が公然とアプローチしていた事もあって、他の男達の中には半
ば諦めムードが漂っていた。

 ところが彼女の魅力にやられていた一人である俺が、それまでの生涯で最大の勇気
を出し駄目もとで告白してみたら、アッサリ交際を承諾してくれたのだから驚きだっ
た。
何しろ俺は真面目なだけが取り柄の至極平凡な人間だ。

 170センチを超えている千恵利より背は低いしやや肥満体で、顔だってどちらか
と言えば醜男の類だと思う。
さらに生来の口下手も災いして、それまで彼女いない歴イコール年齢、と言うのを更
新中だったのに、女心はわからないものだ。
千恵利によれば、そんな俺の平凡さこそが好ましかったらしい。目を見張る美女で、
恐らく幼い頃からステータスの高い男達にチヤホヤされて来たであろう千恵利は、な
るべく平凡な男性と結婚しようと決めていたと言うのだから驚だ。

 俺にとっては宝くじに当たったようなものかも知れない。
「タカ君なら絶対浮気しそうにないでしょ」と冗談半分に千恵利は言うが、こんな素
晴らしい女性をヨメに貰って浮気なんかするわけがない。
さらに千恵利はまだペーペーだった俺と結婚し子供が出来ると、仕事の方でも将来有
望だったのに職を辞して家庭に入ってくれた。

 彼女は華やかな外見の印象とは異なり、平凡な家庭の主婦になるのが夢だったそう
だ。
そして千恵利は意外なくらい家庭的な面を持っており、家事全般何でもテキパキとこ
なした。
正に良妻賢母の鑑みたいな女性だったのである。

 こうして思ってもみなかった美形で何もかも理想的な妻を娶り、かわいい娘も生ま
れて幸福の絶頂を味わった俺は、脇目もふらず仕事に没頭し、休日は家族サービスに
励んだ。
何しろ家に帰れば映画女優みたいな美女が、海外ドラマのように熱烈な愛情表現で迎
えてくれるのだ。
これで奮い立たなければ男ではなかろう。

 十年くらいは転勤族だったが、順調に昇進して米軍基地に近い今の勤務地に落ち着
く事となり、念願のマイホームを購入。
正しく一点の曇りもない順風満帆な人生航路だったのだ。
ところがそこへ突如現れた佐々木は、静かな海面に一石を投じ、その波紋はゆっくり
と広がってしまってやがては取り返しの着かない事態に直面する運命だった。

「家を買ったそうじゃないか。随分羽振りがいいんだな」

 佐々木の話はそんな言葉で始まった。
俺は初め名前を聞いても誰だったか思い出せず、それにしては馴れ馴れしい話ぶりで
正直不愉快だった。
記憶をたぐり寄せてようやく昔そんな男が同期にいた事を思い出したのだが、当時も
有能だが自信家で押しの強い佐々木が俺は苦手だった。

 あまり口を利いた覚えもないのに、一体なぜ電話を掛けて来たのだろう。
この男との接点は俺の妻の座に納まった千恵利だけだ。
そう言えば、と佐々木が千恵利を狙っていた事まで思い出した俺は一抹の不安を覚え
たが、それは佐々木の話が続くに連れてどんどん増大した。

 「俺は自衛隊を辞めて、米軍を相手に民間で働いている」
「そうですか」
「フラれちゃったからな。ところでチェリーちゃんは元気かい?」

ーーチェリーちゃんだって? どこまで馴れ馴れしい奴なんだ

 それは「千恵利」をもじったニックネームで、男性隊員は彼女の事をそう呼んでい
た気がする。
もっとも俺は彼女に向かってそう呼んだ事は、当時も今も一度としてない。
特に親しくもなくずっと音信不通だった昔の同僚に過ぎないくせに、人の妻をニック
ネームで呼ぶ佐々木の無礼さに腹が立った俺は、しばらく無言で応じた。

 佐々木が自衛隊を辞めた、と言うのも初耳だったが、俺には無関係ではないか。
だが佐々木の話が続くと、とても無関心ではいられない事態が降りかかって来たのだ
った。

 「実は俺、今はこの近くで働いている。もう一度チェリーちゃんに会いたくってな。
おい、電話を切るんじゃねえぞ。お前、この前チェリーちゃんが事故った事、知って
るだろ?」
「……どうしてそんな事を……」

 「知ってるかって? 言っただろ、米軍を相手に働いてるって。俺はここの基地の
駐留米軍さんとも、結構通じてんだよな。お前、チェリーちゃんが誰の車とぶつかっ
てどう事故処理したのか、知ってるか?」

 佐々木に見透かされたように、余りの不躾さに電話を切ろうと思った俺は、千恵利
の交通事故の話を持ち出されてとても無視出来なくなった。
事故と言ってもホンの軽い接触事故で互いの車体に傷が付いた程度。
相手は基地のアメリカ兵だが、千恵利は英語が堪能だ。
すぐに話し合って保険会社に入ってもらい、事故処理は済ませた、と聞いていたのだ
が。

 「チェリーちゃんがぶつけたのは、何と米軍の司令官様だぞ。知ってたか?」
「いや、知らなかった」
「別にチェリーちゃんが悪いわけじゃない。事故処理も問題なく終わった。ところが、
困った事にこの司令官無類の女好きで、チェリーちゃんに一目惚れしちまったらしい
んだ」
 
 俺の中の不安がますます膨らんで来た。佐々木はそんな要人と親しい仲なのだろう
か? 

 「で、本題に入るが、チェリーちゃんを俺がやってるカフェで働かせて貰いたい。
基地の敷地内にある米兵ご用達の店のウェイトレスとして。いきなりで面食らうだろ
うが、それが司令官の要請なんだ」
「それは勝手過ぎるだろう」

 「悪いが調べさせて貰ったぜ。お前家を買ったばかりだし、娘の学費だってこれか
ら掛かるだろう。なのにチェリーちゃんは専業主婦だそうじゃないか。俺の店で働い
てくれりゃ報酬は弾むぜ」
「断らせて貰うよ。どうせそれ、まともな店じゃないんだろう」
 
 昔千恵利に袖にされた佐々木と、事故を起こして目にした千恵利に横恋慕したと言
う米軍司令官。
いくら鈍い俺でも、これが千恵利を狙ったヤバい話である事はピンと来た。
そして俺の悪い予感は珍しく当たっていたのだが、その店が扇情的な服装で男を楽し
ませるメイド喫茶なのではないか、と言う予想は全く甘かった。

 そして俺のその甘さが取り返しの付かない事態を引き起こす事になる。
佐々木はこの時、一旦は引き下がった。

 「まあ、お前さんが考えてるであろう事はわかってる。チェリーちゃんを働かせた
くないのも、それを心配してるんだろう? だけど、もう一度良く考えてみてくれ。
俺もいろいろ……まあ、いい。又連絡するからな」

 佐々木が言い淀んだ言葉が気になっていたが、米軍の司令官と親しいらしいこの男、
元自衛官と言うキャリアを悪用し米軍相手の、決して表には出せない、いかがわしい
商売で暴利を貪る悪漢だったのである。
やはり裏工作していたらしく、俺は何と上司に呼び出されて信じられない命令を下さ
れた。

 それは米軍基地内にあるカフェで千恵利を働かせろ、と言うあり得ない内容。英語
が達者な日本人女性を急募しているから、と言うのだが、俺が難色を示すと、話を聞
くだけでも良いから千恵利をそのカフェに面接に行かせろ、の一点張り。

 条件などを聞いて、嫌なら断れば良い、と言うのだ。
俺がさらに渋ると、この上司も上から圧力が掛かっていたのか、千恵利に直接連絡を
取り強引に話を進めてしまった。
そしてこのキナ臭い裏事情を知らない千恵利は、とうとう問題のカフェに行ってしま
う。
どうして俺にも相談しなかったのか、と千恵利を責めても後の祭りだった。

 それどころか、面接を受けた千恵利は上機嫌で帰って来て大いに乗り気だった。
平日に毎日5時までウェイトレスとして働くだけだが、英語で米兵の相手をするため、
給料が破格なのだと言う。
変な制服なんじゃないか、と聞いてみても、私みたいなおばあちゃんにメイド服着せ
てもしょうがないでしょ、と笑って否定された。

 結局俺も反対する理由が見出せず、出産してから初めて千恵利が仕事に出る事を承
諾するよりなかったのだが、実はもうこの時点で手遅れだった事に後から気付く事に
なる。
千恵利が受けた面接自体が、悪魔の面接だったのである。