『闇色のセレナーデ』
    
                           とっきーさっきー:作
第7章 夢の始発は、ミステリアスガールと共に


 「佐伯君、ちょっとこちらへ」
昨日と全く同じ時刻、同じセリフに『こちらへ』と単語だけを追加して、課長の山下
が卓造を呼んだ。

 さり気なく浴びせてくる同僚の視線に、卓造はちょっと誇らしげに胸を張ると、そ
の課長の元へと向かう。
歩きながら、棒グラフの描かれたホワイトボードに目を留める。
一夜にして、営業3課トップに躍り出た自分の名前を舐めるように見つめた。

 「いやぁ、さすがは佐伯先輩。御見それしました。あの天下に名高い『小嶋技研』
からワンロット4千万もの発注を受けるとは。それも本社直々からですよ。いや、素
晴らしい。私はアナタと共に仕事が出来て光栄です」

 人という者は、結果次第でこうも態度が変わるものなのか。
眉毛をひくひくさせながら手を取る山下に、卓造は複雑なモノを感じた。
(約束通りに、和也が手を打ったのに違いない。それも2千万で片が付くのを、倍の
4千万も発注させるなんて。山下じゃないが、さすがは天下に名高い『小嶋技研』の
若旦那様だ)

 出社して早々に、小嶋技研の秘書課から卓造あてに連絡が入り、4千万という大型
案件にも関わらず即決で交渉が成立したのである。

 「課長。これから外回りの予定を入れておりますので、失礼してよろしいでしょう
か?」
「あ、ああ構いませんよ。これからは私の許可など必要ありません。先輩の思う通り
にお仕事の方を頼みます」
卓造は、諸手を挙げてバンザイしそうな山下と営業3課の面々に見送られて職場を後
にした。
 
 「はあ~ぁ、空気がうまい」
片側3車線の大通りを無数の車が行き交うなか、卓造は鼻の穴を拡げ肺がパンクする
ほど空気を詰め込んでいた。

 そして、久々に背筋を伸ばして歩いてみる。
いつも目にしていた当たり前のオフィス街も、異国の街並みに思えてくる。少々大げ
さだが。

 「それで千佳ちゃんは、どこでお待ちなのかな?」
皮靴でスキップするように歩きながら、卓造は黒目を走らせる。
歩く人もまばらな昼下がりのオフィス街。
ちょっと目を凝らせば……

 (見付けた! やっぱり来てくれてたんだ)
雑居ビルに間借りしたコンビニの店先で、ダークネイビーのセーラー服が揺れた。
近寄る卓造に千佳も気が付き、こちらを振り向いたのだ。

 顔を綻ばせる、よれよれスーツを着込んだ中年営業マン。
沈んだ顔をする、清楚で可憐な女子学生。
場違いなほど対照的な二人だが、これからの時間を共に行動することだけは決定済み
である。

 「待ったかい? 千佳ちゃん」
「いえ、別に。アタシも今来たところですから。さ、行きましょうか?」
千佳は卓造の顔を一瞥すると、身を翻すようにしてさっさと歩き始めた。

 何か雰囲気が違う。
昨夜まで兄である和也に痴態を晒していた線の細い少女のイメージとは、違和感を感
じる。
なんかこう、闊達というか……

 「どうして、お断りにならなかったんです?」
「え、何が?」
「その……兄からの提案です。佐伯さんは、何も知らないから」

 突っかかるような勢いで歩く千佳に、卓造は歩幅を拡げて追い付いた。
その矢先、少女が意味深な言葉を吐いた。『何も知らないから』と。

 「確かに、キミのお兄さんと知り合ったのは昨日のことだし、あの人のことは詳し
く知らないよ。でもね、こんな夢みたいな話に飛び付かないなんて、普通の男だった
ら有り得ないと思うよ。まあ、千佳ちゃんにとっては不幸なことだし、その同情もす
るけどね」

 「はぁ、そう言うと思った。やっぱり佐伯さんは、この前の男の人と、その前の男
の人とも一緒かも。何も分かっていないわ。それとアタシは、別に同情して欲しくて
言ったわけじゃないから」

 急に立ち止まった千佳は、30センチは上にある卓造の顔を見上げた。
ほんのりとした桜色のほっぺたをキュッと引き締めると、失望と怒気を孕んだ投げや
りっぽい目線をぶつけてくる。
(やっぱり違う。これがこの子の本当の姿なのか?)

 深夜の街中で白い肌をくねらせていた千佳と、清潔感溢れるセーラー服に身を包ん
だ目の前の千佳は、まるで別人である。
薄い太陽の日差しに照らされた少女の全身からは、気高いオーラが漲っている。
見えるはずのない気を、卓造は見た思いがする。

 「佐伯さん、こっち来て」
「お、おい!」
ちょっと不機嫌な表情をする女神は卓造の手を引くと、オフィスビルの脇に設置され
た自動販売機へと誘った。

 別にジュースを買うわけではなさそうだ。
千佳は並んだドリンクの見本に目もくれずに、細身の身体を自動販売機と外壁で作ら
れた三角コーナーへと寄せる。
そして幅の広い道路の向こう岸に目を運ぶと、卓造の身体を衝立代わりに見立てるよ
うに、向かい合う形で立たせたのだ。

 「思った通りだわ。あの人ったら、あんな悪魔に命じられて……ダメ、佐伯さんは
振り向かないで。気付かれちゃう」
そう言うなり千佳の両腕は、卓造の背中に回り込んでいた。
コートの上からしっかりと腕を絡めると、自分の身体に押し付けたのである。

 「おい、千佳ちゃん。いくらなんでも、こんな所でなんて……マズイよこれは」
「だめよ、こうしないと。でないと、佐伯さん。アイツに用済みの烙印を押されて消
されるわよ」

 「け、消されるって?! それにアイツって、和也君?」
「そうよ。だけどそれより今は……佐伯さん、アタシとキスして。それに恥ずかしい
こと……いっぱいして頂戴。ここで」

 髭が剃り残された卓造のアゴに、上目遣いの千佳の目線が重なった。
二重まぶたから覗く瞳が、投げやりっぽいものから悲痛な哀しみの色を湛えて、それ
でも顔を逸らせようとはしない。

 「分かったよ、千佳ちゃん」
卓造は、少女の気迫に押されたまま深く頷いていた。

                
       
 この作品は「羞恥の風」とっきーさっきー様から投稿していただきました。