『若妻の指使い』
                           とっきーさっきー:作
第1話

 わたしは亮哉とケンカしてしまった。
結婚してから三年間、これまで一度もしてこなかったのに。
ホントにホントに些細なことで、つい意地になって、頭の中に血が昇ったみたいカッ
となってしまって……
そう、これを夫婦喧嘩っていうんだよね。

 でもね、昔のテレビドラマのように、ヤカンとかお茶碗とか、そんなものを投げ合
ったりしないよ。
亮哉だって、お料理が並んだ卓袱台を『えいッ!』とばかりに、引っ繰り返したりし
ない。
ううん、その前に卓袱台が無いよね。

 わたしと亮哉が暮らしているのは、3LDKで家賃が一月で五万円の市営住宅だか
ら、食事はいつもダイニングのテーブルに向かい合ってなの。
結婚式の前に二人で家具屋さんに行って、『このテーブルがいいね』って。
顔を見合わせてから、二人で指を伸ばして決めたモノだから。

 お茶碗だって、お皿だって、湯呑みだって、全部そんな感じ。
スーパーマーケットとホームセンターと、おまけみたいに百円ショップの陶器売り場
を、グルグル歩き回って選んだモノだから。

 でも、あの時って楽しかったな。
亮哉と腕を組んで歩きながら、二人だけの甘~い新婚生活を夢見たりして。
食器だけじゃなくて、そう言えば、生活用品も一式買え揃えたんだよね。

 それで、寝室のベッドに並べる枕を探してた時だったかな。
わたしは『自分の頭に合った枕をちゃんと選ぼうね』って言ったのに、亮哉ったら……
『枕はね、大きめのものを一つだけ買っておけばいいだろう』って。
『どうせ僕と真希は、一晩中抱き合ってエッチするんだから、二人分の枕なんて必要
ないさ』って。

 けっこう大きな声だったよね。
前を歩いていた人生の先輩夫婦に、じろってわたしと亮哉は睨まれちゃったから。
それで白髪の混じった旦那様が、奥さんの手をギュッと握って早足になっちゃって。
わたしと亮哉はポカンとした顔で見送って、『うふふ♪』って笑ったりして、それか
ら急に小声のままハモルように『夜の営み決定だね』って。

 あれ? わたしって何の回想をしてたのかな?
えっと、確か……

 「ごちそうさん」
亮哉は一言だけそう言うと席を立った。
『真希が作ってくれた今日の夕食、とってもおいしかったよ』とか。
『サンマの塩焼きが焦げてたよ。でも僕はこの方が好きだな』とか。
いつもの亮哉なら、プラスして話し掛けてくれるのに、顔をうつむかせたまま目を逸
らせるようにして行ってしまった。

 そしてバタンって扉の閉じる音が響いて、亮哉は脱衣場に。
もう一回バタンって扉の閉じる音が響いて、きっと全裸になった亮哉が浴室の中へと。
「亮哉ったら、まだ怒ってるんだ。ま、わたしもプンプンレベルだけどね」
どうせ聞こえないから、地声で独り言をつぶやいた。

 ケンカしてるのに食事だけは残さずに食べてくれて、わたしは空になった亮哉の食
器を見つめた。
頭の中ではヒステリックにプンプンなのに、だけど食欲旺盛で、ツルツルテカテカの
わたしの食器にもつい目を落としていた。

 「このお茶碗とか、お皿とか、全部床に落っことして割ったら、亮哉は飛び出して
くるかな?お風呂に入っているから裸のままで、もしかしたらパンツも穿かずに駆け
寄って来て、わたしを……」

 ぼぉっと突っ立っていた。
とっても恐ろしい妄想を掻き立てながら、わたしは耳をそばだてていた。
微かに聞こえるシャワーの音に心臓をドクドクさせて、胸の奥を切なくさせて。

 それでどうなるの?
幻の亮哉は、床の上に散らばった食器の欠片を見つめてそれから、わたしのほっぺた
をパチーンって?
それとも無言でしゃがんで、手伝おうとするわたしを手で制して、一人で黙々と片づ
けをしてくれて?

 わたしはまだ妄想の世界にいた。
色んなシーンを早送りで頭のスクリーンに上映させて、じっと亮哉だけを見つめてい
た。
きっと裸の亮哉のツマ先から頭のてっぺんまで目を這わせて、その後でこっそりと亮
哉の腰の辺りを……
亮哉の大切な部分を……
亮哉の……その、あの……おぉ、オチ○チンを……

 「真希のスケベ! エッチ! 変態!」
今は夫婦喧嘩の真っ最中なのに。
三日間も、72時間も。言葉だって普通に交わせていないのに。
頭をブンブンと振った。
脳震盪を起こすくらいに頭を揺さぶって、わたしは描き上げた画像を消した。

 胸の奥のキュンとする熱いモノは、いつのまにか下半身でも感じていた。
三日間も、72時間も。身体だって触れ合わせていないから、わたしの大切な処はも
う……

 「だから、真希のドスケベ! ドエッチ! ド変態!」
わたしは叫んでいた。
思いっきり自分自身をけなして、それから二人分のお茶碗を掴んだ。
テーブルの上から引き離すと、床の上で静止させて……

 バタンって、扉の閉まる音が脱衣場から届いた。
バサ、サワって、バスタオルで身体を拭く音まで、過敏な鼓膜が拾って届けた。
「あ、洗い物しなくちゃ……」
空々しいよね。

 でもわたしには、それ以外のセリフが見つからなくて、いそいそとキッチンへと向
かった。
無事にひび割れもせずに生き残った二人分のお茶碗を、愛おしそうに撫でてあげてか
ら、シンクの中へと入れた。


                    

  この作品は「羞恥の風」とっきーさっきー様から投稿していただきました。