『時は巡りて』
    
                           とっきーさっきー:作
第6話 彷徨いし情念


 その夜、やはりというべきか例の男性は、わたしたちの元を訪れた。

 ここ最近、身体がダルオモ。それで病院に行ったけど異常なし。
けれどもその症状はだんだん悪化して、藁をも縋る思いで非文明的な存在のわたした
ちに助力を……ということらしい。

 「間違いない。安積淳二(あづみ じゅんじ)とやら、お主は取り憑かれておる。
嫉妬と未練が混在した『怨鬼』にのう」

 「そんな……京香が、どうして……?」

 お父さんは一息吐くように湯呑に入ったお茶を啜った。
漆塗りの座卓を挟んで向かい合うように座る男性。
安積という病人さん? は、両肘をついたまま頭を抱えている。

 「えっと、冷めないうちにお茶をどうぞ」

 わたしはお父さんの隣に座ったまま、落ち込んでいる彼にお茶をすすめた。

 ここは、お社の中にある鬼払いの間。
板張りの殺風景な部屋は、鬼が出入りするとされる子と卯の方位にあたる扉の上、つ
まり北と東の方角に、結界の印を施した特殊な紙垂(しで)が下げられている。
だから当然、わたしの目にもさっきの女の人は見えない。
お父さんが見ているのは、きっと彼女の残留思念だと思う。
なんでも厳しい修行を積んだ高位の霊媒術師には、飼っていたペットの霊どころか、
キッチンに出没するゴキちゃんの魂まで見分けられるとか?
う~ん……跡を継ぎたくないような……

 「ところで、お主が取り憑かれておるその京香殿のことだが、籍には入れておった
のか?」

 「あ、はい。2年前に彼女と式を挙げ入籍手続きも済ませました。それが、ちょうど
1年前の今日……」

 安積さんは言葉を詰まらせて、またうつむいちゃった。
なんでも結婚記念日の朝、京香さんと彼は些細なことで喧嘩しちゃったんだって……
それで怒った彼女は玄関を飛び出して、運が悪いことに走ってきた車に跳ねられちゃ
って……
京香さん、かわいそう。残された安積さんもだけど……

 「やはりのう……籍に入っていたとなると、ちと厄介かもしれん」

 お父さんは、無いヒゲをさするようにアゴを撫でた。

 「なにが厄介なの?」

 「神楽、お前も『婚儀の契』は知っておろう?」

 「え、ええ……まあ」

 わたしは曖昧に答えた。

 「そこでじゃ。世の中では、華やかな結婚式を重視する風潮が蔓延ってるが、真に
大事なのは役所で行う入籍手続きの方でな。つまり、式典は神に対する『意志表示』、
決意表明みたいなもの。対して、入籍手続はその行為が示すとおり信ずる神への契約
を意味する。
たかが、書類上での手続きと思っておると、とんでもない罰が落ちることだってある。
なんと言っても、この日の本の国には八百万の(やおよろず)神々が鎮座しておられ
る。それがまた、この上もない歓びでもあり、因果なモノを生むしがらみでもある。
ふーぅ。神楽、お茶」

 「はいはい。安積さんのも温かいお茶を淹れ直すわね」

 わたしは、ふたつの湯呑にお茶を注ぎながらお父さんの言葉を考えていた。
なんだか回りくどくてヤヤコシイことを話してたけど、要するに同じ霊が取り憑くと
しても、婚前と婚後では全然パワーが違うってこと。
今回の場合は結婚後だから、強力な恨鬼とご対面ってことになるのかもしれない。


 取り敢えず、安積さんには封鬼の印をお父さんが施して帰ってもらった。
これでしばらくの間は、京香さんも彼に触れるどころか近づくことさえできないはず。

 そして、その日の深夜。わたしたちはリビングのテーブルに顔を突き合わせて作戦
会議を開いていた。
集まったのは春夏秋冬家精鋭三人衆。
ようするに、わたしとお父さん。それに育児疲れ? の守のことだけどね。

 「それで、どうやって彼女を浄化するの? わたしの見たところ、京香さんの放つ
霊気はかなり強力よ」

 「それには私も同意です」

 斜向かいに座る守も深くうなづいた。

 「うーむ。やはりここは『浄滅』しかあるまい。それなら、事は簡単にけりがつく」

 「だめよ、お父さん。そんなことをしたら京香さんの魂まで消えちゃうじゃない。
憎むべきはそんな彼女に取り憑いた恨鬼の方なのよ」

 「それは、わかっておる。わかってはおるが……」

 お父さんは湯呑に手を伸ばしたまま、閉じたまぶたを震わせた。
隣では守がくちびるを噛み締めている。
重苦しい空気が部屋いっぱに漂い始めていた。

 「もう、ふたりとも! らしくないじゃない。こうなったら、神楽がなんとかする。
わたしが京香さんの魂を救ってあげる」

 「救ってあげるたって、お前……?」

 「魂柱よ。わたしが魂柱になるのよっ!」

 わたしは、突然浮かんだ言葉を叫んでいた。
お父さんが小さく溜息を吐き、守が悲しそうに目を伏せる。

 魂柱……
『自ずの肢体を持ちて、悪鬼を呼ばん。但し、情欲に溺れし身体無力なれば、たがの
助けを欲す』

 「うん。わたし決めたわ。それでいく。そうすれば、聖液も溜まるし、お母さんを
助けることもできるかも」

 わたしは、お社の背後に祀られている奥社の方角に目を合わせた。
申し合わせたように、お父さんも守も同じ方角を見ている。

 「だが、今度の相手。これは危険な賭けになるぞ。それにお前は……その……」

 「わかってるって。だからそれ以上言わないでよ。恥ずかしいじゃない。ほら、守
もそんな悲しそうな顔をしないでよ」

 「……はい。私は」

 「それと、守はお留守番をお願いね。魂柱の儀式には、嫉妬心が御法度なの。もし
ものことがあったら……ね、ごめん」

 守はくちびるを動かしかけた。
でも、そのまま頷くと静かに部屋を出て行った。

 「それじゃあ、お父さん。ボディーガードをよろしくね♪」

                
       
 この作品は「羞恥の風」とっきーさっきー様から投稿していただきました。