『歩道橋の下で』

                            とっきーさっきー:作
第4話

 「おや、旦那。今日もお早いお着きで」
重蔵さんは儀式のようにお札を恭しく掲げると、マットレスの右半分を俺に譲ってく
れた。
俺は席につくといつものように撮影の準備を始める。
隣ではいつものように、重蔵さんがいびきを掻き始める。

 でも不思議だ。あの少女に会ってから俺の人生がゆっくりと変化し始めている。
今朝は朝早くから妻が朝食を作ってくれた。
夫婦で共にする何年かぶりの朝食。
俺はそれを口にしながら、胸の奥が焼けるような痛みを感じた。

 それだけではない。
遅刻癖が治まってからの会社での評価もすこぶる良くなっている。
昨日などは、馬の合わないあの上司から直接褒め言葉まで貰うとは……

 「まだかな?」
俺はこの場所に陣取りひたすら彼女だけを待ち続けた。
もう他の女など目に入らない。撮影もしない。

 そして、来た! 午前7時40分。いつもの時間に少女は姿を現した。
心なしか顔を赤く染めて、心なしか目線を泳がせて……
心なしか短いスカートの裾を気にする素振りを見せて……
それでもやっぱり気のせいだろう。少女はいつものように颯爽と階段を上っていく。

 「1・2・3・4……」
鉄に響く回数をカウントし、いつものようにゴーサインをかける。

 よし、今だ!
指が液晶画面に浮かぶ撮影ボタンを押す。
同時に俺の目は、一瞬の少女の痴態を鑑賞しようと全神経を集中させた。

 挑発的なチェック柄のスカートがふわりと拡がる。
若さ溢れる引き締まった太ももの。
そして、その付け根を……
「ば、バカなッ! そんな……ありえないッ!」

 遠ざかる靴音。
それを耳にしながら、俺は自分の目を疑った。
狂ったようにスマホを操作し、撮影された写真を確認する。
「まさか……ノーパンでなんて……」

 そう。彼女の短いスカートの中には、あるべきはずの下着がなかった。
代わりに穢れのない女の子の割れ目がそこには写っていた。
堅く閉じた大陰唇。産毛のような恥毛。
天使のような可憐な少女は、パンティを穿かずにこの歩道橋を颯爽と渡り登校してい
った。

 いたずらな風が吹けば、前はおろかお尻まで晒すことになるのに。
いや、あのミニスカートでは、階段を上るだけで後ろから来た者には丸見えかもしれ
ない。
その上、知ってか知らずか下からは俺も覗いていたのに……

 「わからん……何なんだ、あの少女は……?」
俺の中で何かが音を立てて崩れていく。
何か? ではない。
本当はわかっている。

 可憐な少女のパンチラ。
俺はその彼女の行為に恋をしていたのかもしれない。
意図せずに見せる少女のスカートの中を。その奥にひっそりと貼り付く薄布を……

 「ふっ、なんか興ざめだな。いったい俺は何をしてるんだか……」
ふらふらと立ち上がる。
信じられないことだが、俺の頭からは少女の影は消えていた。
もやもやとした記憶の断片さえも全て削除されていた。

 「旦那。今からでも遅くありませんぜ。真面目にサラリーマンやって平凡な人生を
生きなすったらどうです?」
汚い身なりをした重蔵さんの言葉がずしりと重い。
その姿は、光輝く仏様のように感じた。

 「……そうだな。重蔵さん、恩に着るよ」
俺は、歩道橋下の仏様に頭を下げた。
そして、昇り始めた朝の太陽を背に受けながら駅へと向かった。
もちろん、歩道橋を利用して……

 「重蔵おじさん。これで良かったのね」
男がこの場所へ立ち寄らなくなって一週間。
歩道橋下のわしのねぐらを、ひとりの少女が訪れていた。

 「ああ、上出来だ。アヤちゃんに一肌脱いでもらったお陰で、あの男も最悪の道だ
けは踏み外さずに済んだようだ。ありがとうな、アヤちゃん」
「いやだなぁ、重蔵おじさん。そんな言い方みずくさいよ。同級生に苛められて、こ
の歩道橋から飛び込もうとした私を止めてくれた重蔵おじさんの頼みなんだよ。どん
なことだってアヤは引き受けるよ」

 「ふーん。それだけかい? アヤちゃんはあの男にも借りがあったんだろう?」
「うん、まあね……2年くらい前だったかな。私が不良たちに絡まれているのを身を
張って助けてくれたの。さっきの男の人が……ボロボロにされながら、私に逃げろっ
て。でもあの頃の私って、とっても地味で暗めの女の子だったから、あの人、最後ま
で気付かなかったみたいだね」

 少女は寂しそうに溜息を吐いた。

 「確かにな。だが、そんな男がお前さんを襲った不良の立場に身を落とし掛けると
は……わらんもんだよ、人生ってのは」
わしも少女に合わせるように深く溜息を吐く。
その上を、今日も複数の足音が行き交い新たな人生を紡ぎ出していく。

 「でも、さすがに下着を着けないってのは恥ずかしかったろ?」
「うふふふ。それがねぇ、別にそうでもないんだ。下からあの人に覗かれていると思
うと、変な気分になっちゃって……やだぁ、アヤって露出狂なのかな?」

 ミニスカートではない、ひざ丈のスカート姿の少女は顔を赤くした。
その言葉に嘘と真実が半々なのをわしは感じた。
「さあて、そろそろ一眠りするかな。アヤちゃんも勉強をがんばりなよ」

 軽い足音が天井で踊り、消えていく。
わしはそれを聞き終えると、オーバーのポケットから分厚い封筒を取り出した。
「怖いねぇ。人間の情欲ってやつは……」
表の充書に記されているのは『孤独を孤独とせず、逞しく生きる子供たちへ』
裏面には『歩道橋の下より愛を込めて』

 人生イロイロ。人の心もイロイロ。
もしかしたら、あなたの近くにある歩道橋の下にも、不思議な仏様が住んでいるかも
しれませんよ。

『歩道橋の下で 完』


                    

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