『エスカレーターの狭間で…』
    
                           とっきーさっきー:作

第8話 エスカレーターの狭間に花が咲く?!(最終話)


 どさぁっ! がさぁッ!
「い、いやぁぁぁぁッッッ! だめぇぇぇぇッッッッ!」
「危ないッ?! 怜菜っ!」

 危機迫る甲高い声。風のように駆け抜けたしなやかな人影。
そして、目の前で折り重なるふたりの女性。
パステルカラーのワンピースの上に、水色の作業着が圧し掛かっている。

 「どうして? どうして私を助けたの?」
「ごめん怜菜。アタシを許して。でもよかったぁ、間に会って……」
噛み合わないふたりの会話。

 怜菜ちゃんは慌てて立ち上がると、ワンピースの女の腕をしっかりと掴んだ。
相手も、怜菜ちゃんの手首をしっかりと掴む。
どちらともなく息を合わせて、女の身体がふわりと起き上がり、俺は感じた。
ふたりの心の会話は、噛み合っていると。

 「大丈夫ですか?」
そこへ若い警備員が駆け寄ってくる。
「心配をお掛けしました。でも彼女に助けてもらって、私は平気です」

 「そうですか? それは良かった。ですが……!」
警備員は鋭い目付きで俺を睨んでいる。
これも年貢の納め時ってやつか。

 「待ってください。あの……この人は関係ありません。その、私のことが気になっ
たのか、付き添ってくれてただけなんです。だってこの作業着、サイズが大きくて。
何とかならないかなぁって、思いながら歩いていたんです。こんな感じで……」

 そう答えると、怜菜ちゃんはズボンを引き上げた。
アソコに股布が喰い込むくらいに。

 「そ、そうでしたか? いや、清掃員に絡む不謹慎な男がいると通報を受けたもの
で……では、失礼します」
真面目そうな警備員は、踵を返すと元の持ち場へ帰っていった。
助かったのかぁ? 俺は……

 「怜菜、あなたってどこまでもお人好しなのね。なのに、アタシ……」
「もういいよ。あなたが清掃員の仕事をしながら大学に通っていることを、私知らな
くて。こんなに大変な作業なのに、その横を私ったら、ずっと気付かずに通り過ぎて
いたんだから。別に恨んでなんかいないわよ。私だって同じ立場だったらこうするか
も。ううん、もっとひどいことを考えていたと思う」

 「怜菜、ごめんなさい。うぅぅぅっっ」
エスカレーターに挟まれた中州の階段で、手を取り合うふたりの少女。

 俺は思い返していた。どうして怜菜ちゃんが、あんなにまで理不尽な要求に従った
のかを。
そう、彼女は気付いていたのだ。嫉妬に燃える女の瞳に。

 いつからか? それは分からない。
俺に出会った後? その前から?
でも確かにいえること。それは負い目。大げさに言えば怜菜ちゃんなりの贖罪。

 う~ん。やっぱりこの子は絶滅危惧種かもしれない。

 「ところで、おじさん」
「はい……?」
「アタシね、怜菜に意地悪をしたつもりだけど、おじさんは許せないよ」

 怜菜をかばうように立つ少女は、俺を見上げると手に持つスマホをかざした。
「よぉーく撮れているでしょう。エッチなおじさんの行為がぜ~んぶね。怜菜だって、
ものすごく辛くて恥ずかしかったんでしょ?」

 「うん、とっても。でもおじさん、陰湿に脅迫してきたから逆らえなかったし……」
怜菜ちゃんは少女の背後から顔だけ覗かせて、哀しそうにまぶたを閉じる。
「いや、あ、あの……その……これはだな」

 片言の日本語を話す俺の横を、スーツ姿の同士諸君が憐みの眼を残して過ぎ去って
いく。
俺の中で、サラリーマンという言葉が音もなく崩れ落ちていく。
頭の中に、公園で生活する俺の今後が映し出されていく。

 「どお、おじさん。女の子にエッチなことをして反省してる?」
「は、はい、死ぬほど反省しております。後悔しております」
「だったらさぁ……う~ん、どうしようかな? 怜菜はどうして欲しい?」

 直立不動の俺の前で、ふたりの少女が話し込んでいる。
俺はその背中にギザギザした黒い羽根を見た気がした。

 「それじゃあ、おじさん。お詫びにケーキを奢って♪ そこの角の先においし~い、
お店があるんだ。ねえ、怜菜」
「うん、あそこのケーキ、おいしいね」

 俺は連行されるように、両サイドを少女に挟まれていた。
「あのぉ、怜菜ちゃん。いえ怜菜さん、お掃除の方は……?」
「あっ! 忘れてた。残りの階段を掃除しないと」
「怜菜、任せて。アタシの方が慣れているから」

 ふたりは俺を仮釈放すると、手際よく残りの階段を片付けていく。
さすがに早い。3分も経たない間に俺は再び拘束されていた。
地下街の通路を歩くはめになった俺の目に、お節予約のちらしが飛び込んでくる。
それはついさっき目にとまった小料理屋の窓ガラスだった。

 俺は、前を歩く仲の良いふたり連れを見て口元を緩めた。
悪いな。季節外れの予約なら、クリスマスケーキの方がお勧めだと思うぜ。
なぜって?
簡単なことさ。今から試食に行くからさ。

 「おじさ~ん、早くぅ~」
小悪魔の笑みを浮かべて手を振る、ふたりの少女。
俺も童貞を取り戻したつもりで、手を振り返していた。
ポケットの中の薄い布を握り締めながら。

【エスカレーターの狭間で…… 完】


                  
       
 この作品は「羞恥の風」とっきーさっきー様から投稿していただきました。