『水面に咲く花火』

                           とっきーさっきー:作

第2話 ノブくん……だよね?


 「さあ、佳菜。着いたよ」
「じ、冗談……だよね。ノブくん? 佳菜を驚かせようとして、こんな所へ? それ
ともノブくん、お、おトイレとか……? ……って、ここ、おトイレはないし……あ
っ、喉が乾いたのね。え~っと、自動販売機はと……?」

 「もう、佳菜ったらなに言ってるんだよ。今、話しただろ? 『着いたよ』って」
「や、やっぱり……ここ?!」

 わたしは、横断歩道を渡る幼稚園児のように首を振った。
ノブくんの言葉を否定したくて、佳菜が話したモノを証明したくて。
でも、車が10台くらい停まれそうなスペース以外、公衆トイレのマークも、明々と
電気の点いた鉄の箱も何も見付からない。

 シーンと静まりかえって、伸ばせば手が届きそうな黒い湖面と、鳴き続ける虫の声。
そして、雲ひとつない夜空に浮かぶ青白い満月の光。

 「う……ううぅぅっ。ひどいよノブくん。佳菜はとっても恥ずかしかったのに、勇
気を出して告白したのに。それなのに、車の中でなんて……そんなのイヤだよ」
「佳菜……ごめん。怒らせちゃった?」

 「当り前よ。確かに佳菜もノブくんもお給料安いし、お洒落な高級ホテルなんて贅
沢言わないけど、せめて普通のホテルで……ラ、ラブホテルでもいいからさ。
ね、ノブくん。帰ろう? それにここ、不気味で変な感じがする。早く戻ろうよ。ね」

 「おかしいな? 川上先輩。僕が相談したらここがベストポイントだって紹介して
くれたのに……ここなら、佳菜と気兼ねなく愛し合えるって、勧めてくれたのに……
なぜ? なぜ拒否するのぉ? ううぅっ、なぜ僕ではなくてぇ、信雄を選んだりする
のさぁ」

 「ノブくん?! 今なんて! 川上先輩? それってその……ヒィッ!!」

 わたしの口から続きの言葉は出て来なかった。
運転席で首を横に向けたノブくんは……ノブくんではない。
顔はノブくんで仕草もノブくんだけど、やっぱり違う。なんなのよ! そのへばりつ
くような粘着質なしゃべり方? 

 「ちょぉっ、ちょっとぉっ! い、いやぁッ、来ないでッ! ひ、ヒィィィィッッ
!」
その人は助手席のわたしの上に圧し掛かってきた。
ひざを無理やり拡げると下半身を割り込ませてきて、そのまま胸と胸を合わせた。
肩と肩も合わせた。

 最後に唇を合わせようとして、イヤイヤするようにわたしが首を振ると、ペナルテ
ィだって感じで座席を押し倒した。 

 「ひゃぁっ! ちょっと急に……どうしちゃったのよ? ノブくん、ねえ、ねえっ
てばっ!」
「佳菜ぁっ、き、君が悪いんだぁ、君さえあの時、俺のプロポーズを受け入れてくれ
たら、こんなことにはぁ……ふふふ、ははははっ」

 「えっ! そ、そんな……あなた……川上先輩?!」
全身に男の重みを感じながら、出てきた答えはあり得ないもの。非科学的なもの。
「ふふっ、やぁっとわかってもらえたようだねぇ。佳菜ぁ。そういうことぉ。君の大
好きな信雄は、今では俺のアヤツリ人形さぁ。では、佳菜の唇のお味はと……」

 「い、いやぁぁッ! ノブくん、しっかり。しっかり……むぐぅぅぅッッ?!」
月明かりの下、男の影が視界を遮った。
全体重を乗せながらわたしの抵抗を封じ込めると、ヌメヌメの舌を差し込んでくる。

 必死でくちびるを閉じていたけど、もうダメ。
顔どうしを密着されて鼻が押しつぶされて、呼吸させてもらえないの。
苦しくてちょっとだけ口を開けたら、佳菜の舌がノブくんだった人の舌に絡みつかれ
ちゃった。

 「ちゅぷぅっ、ちゅばぁっ。佳菜のベロっておいしいぃ。ほらぁ、信雄の唾をたっ
ぷりと入れてあげるぅ」
「んぐぅぅっ、むぅぅぅっ。ゆ、ゆるしてぇっ……川上……先輩……」
口の中が、ノブくんの唾液に占領されちゃう。

 佳菜の舌の裏も表もノブくんの舌にスリスリされて、喉の奥へと追いやられちゃう。
わたしは虚しく抵抗した。
覆いかぶさる身体を両手で押し上げようとして、両足でノブくんの下半身を挟み込ん
で……

 本当は、ひざ頭で男の人の急所を『エイッ!』って蹴り上げてやりたかった。
でも……でもね。できないよね、そんなこと。
大事なノブくんの身体だもんね。佳菜には無理だよ。

 「ぷはぁっ。おいしかったよ、佳菜の唇。濃厚だねぇ。ふふふっ、どうしたの? 
顔を背けたりして。さあ、もっと楽しもうよぉ。今夜は佳菜の記念の日になるんだか
らさ」

 「イヤよッ! アナタとなんか絶対にイヤァッ! ノブくん、起きてよ。正気を取
り戻しててばぁッ!」

 「くくっ、無駄だよ佳菜。信雄の身体は俺が支配しているんだよ。俺の思い通りに
動くのさ。君の行動しだいでノブくん、大変なことになるよぉ。だって、このまま目
の前のダムに飛び込むことだって簡単だしねぇ」

 ガチャって音がして助手席のドアが開いた。
身体の上から重しが消えて、直接月明かりがわたしを照らす。
「ま、待ってっ、ノブ……い、いえ川上先輩……」

 わたしは腕を伸ばしていた。
半身外に飛び出しているノブくんの腕を掴んでいた。
「わ、わたしが……相手……します。だから先輩、ノブくんに何もしないで……お願
い……します」

 「ふふふふ、そうだよぉ。やっぱり素直な佳菜が一番似合ってるよぉ。それじゃあ、
こうしようかな。お互いに見せ合いっこしながら裸になろうよ。それと、これからは
俺のことを春彦って呼ぶこと。もし、ノブくんなんて呼んだりしたら、そこのダムに
ダイブするからねぇ。いいね、佳菜」

 「……はい。は、春彦」