『惠 一期一会』
 
                     Shyrock:作
第5話 身の上話

 タクシーは嵐山から保津峡へと進んでいましたが、ようやく行き先が宝塚温泉に
決まったため、急遽進路を変更し京都南インターを目指すことになりました。

 その後名神高速で西宮インターに向かい、さらに阪神高速池田線から中国自動車
道へと進み、宝塚インターを降りて国道176号線で宝塚へと向かうコースを描い
たのです。

 いずれにしても行き先が決まったことで、私としてはホッと胸を撫で下ろした気
持ちになりました。
だって目的地も決まらないまま走るのは、タクシードライバーにとってはかなり辛
いものがありますからね。

 いつもは混み合っている名神高速も、その日は不思議なことに空いていて珍しく
快適に飛ばせました。

 天王山トンネルを少し過ぎた辺りだったでしょうか。
女性は私が尋ねたわけでもないのに、突然ポツリと語り始めました。

 「運転手はん、うち……実は結婚してますねん……」
「え……?あ、そうなんですか……」

 その一言を耳にした時、私にかすかな落胆があったことは正直否めませんでした。
タクシーに乗車してきたお客が未婚者であろうが既婚者であろうが、そんなこと私
には関係がないはずなのですが。

 「そないに見えます?」
「いいえ、お一人かと思っていました」
「やぁ、嬉しいこと言わはるわぁ。おおきにぃ。うち、結婚して3年目になるんど
すえ」
「そうなんですか。でもまだお若いんでしょう?」

 「今、25どす。うち一人娘やったさかい、婿養子もろたんどす。親が家の商売、
どないしても絶やしたらあかんからゆうて」
「それはまた今時珍しいですね」
「ほんで、すぐ縁談、持ち上がって」
「で、好きでも無い人と結婚したと?」

 「その頃、うち、好きやった人と別れた直後やったんどす……。かなり落ち込ん
どりましたなぁ。そんな時、親の勧めるままに、よう知らん人とお見合いして。優
しそうな人に見えたし『まぁ、ええわ。誰と結婚してもおんなじや』と軽う考えて、
なんぼも日が経たんうちに結婚したんどす」

 「失恋の反動もあったんでしょうねえ」
「あとで考えてみたらそのとおりどしたなぁ」
「優しい人ではなかったのですか?」
「いいえ、優しいことは優しいんどすけど……」
「どんな不満があるのですか」

 私は普段なら立場上お客に決して聞かないことを、その時はつい尋ねてしまった
のです。
どうしても聞きたい、と言う衝動が私の中にあったことは確かでした。

 「浮気どす……」
「え……?」
「あの人、この数ヵ月ずっと浮気したはるんどす……」
「……」

 「一晩帰ってきいひんこともしょっちゅうあるし……そやそや、この前、スーツ
のポケットにラブホテルのライター入ってたんどす」
「それはまた……」

 私はどう返事をすれば良いものか、言葉に窮しました。
そこまで証拠を押さえていれば、慰めの言葉も通じないでしょうし。
「うち、情けのうて……毎日が辛ろうて辛ろうて……」
女性はシクシクと泣き出しました。


                

   この作品は「愛と官能の美学
」Shyrock様から投稿していただきました