『哀奴まどか』

                             イネの十四郎:作
終 章 旅 立 (2)


 いつしか私は眠っていたのでしょうか、それともあまりの苦痛と快楽に気を失って
いたのでしょうか・・・
ふと気が付いて目を開けると、妹が私のベッドの端に腰を掛けていました。
私の身体からは、私を責めていた器具が取り払われ、普通にパジャマを着せられてい
たのです。

 妹は、私が目を開けたのに気付くと、静かに話し始めました。

 お姉チャン・・・どうだった?・・・もう満足できた?・・・

 今日一日、考えていたの・・・やっぱりわたしはダメ・・・どうしても・・・
わたし、怖いの・・・普通の生活を、捨てられないのよ・・・

 友達とお茶を飲んだり・・オシャベリしている時・・・
みんなHな本や・・あんな雑誌を読んでるから・・いろいろ話すのよ・・・
だけど、わたし・・そんな時、叫びたくなるわ・・・
そんなのウソよっ・・あなた達は、何も知らないのよって・・・

 でも・・やっぱり知らない方がいいの・・・知らないのが本当なのよ・・・

 わたしも・・もっと大人になったら・・変わるかもしれないけど・・・
でも、今はやっぱり・・これ以上、知らない方がいいと思うの・・・

 あのね、お姉チャンのこと・・恨んでないし・・・好きよ・・とっても・・・
一緒にいたい・・・わたしだって、ずっと一緒にいたいの・・・
でも、ついていけない・・もう、続けられないのよ・・・

 妹はそこまで言うと、ハンカチで目を押さえながら寝室から出ていったのです。
あぁ・・私は一人・・本当に一人になったのです。


 私は、疲れ果てた身体と、重い気持ちを引きずって窓際に行き、カーテンを開けた
のです。
もう夕方になっていました。
窓を開けると、息苦しく澱んでいた部屋の中を、新鮮な甘い風が通り抜けてゆきまし
た。

 私は涙を流すこともできませんでした。
私の目には何も映っていませんでした。
夏の夕暮れに鳴く、あのセミの声さえ聞こえていなかったのです。
私の胸は鉛を詰められたように、それほど重く沈んでいたのです。

 それでも暫くジッとしていると、窓を通り過ぎる風が、そんな私の心を融かしてく
れるようでした。
何も感じられず、何も考えられなかった私に、優しく静かに囁き掛けてくれたのです。
そして少しずつ、少しずつ私の心は癒やされていたのです。

 その風に吹かれている時に、私は突然気が付いたのです。

 私は、やっぱり自分勝手だったのです。
私一人が、苦しんでいるのではなかったのです。
ご主人様も、苦しんでいたのです。
私よりも一層辛い思いを、耐えていたのです。

 それを・・・それなのに、私は無理に愛して貰おうとして・・・
私一人が、一人だけが不幸を味わっていると、思い込んでいたなんて・・・

 あぁ、ご主人様・・・申し訳ありませんでした。
ご主人様の、あなたの気持ちを思うと、私は今・・・何かしてあげたい、精一杯のお
返しをしてあげたい・・・そんな気持ちで、胸が張り裂けそうです。

 でも、ご主人様・・
きっとあなたは、自分の道を、自分の幸せを見つけて行かれるのですよね。
私は、もしあなたが必要な時はお手伝いします。
そうでない時は、静かにあなたのことを、見ていることにします。

 あなたを、ご主人様を、これ以上苦しめたくないのです。
幸せになって欲しいのです。

 そして、私も、私だって幸せを見つけてみせます。

 そうです。
もう、私は一人でも大丈夫です。
一人で生きて行くしかないのです。

 でも、きっとどこかに、私と歩いてくれる人がいる・・・
私と手を繋ぎ、私を導いてくれる人がいる・・・
必ず会える・・いや、必ず見つける・・必ず見つけて貰える・・・

 だから、それまで一人で歩いてゆきます。
私は信じて行くだけなのです。
あなたのためにも・・・


 そう決心すると、私は少し気が楽になり・・・いつもの足取りで、妹の部屋に歩き
始めたのでした。


 私は、もう一度旅に出るのです・・・きっと会えますよね・・・ご主人様・・・

  
ー完ー
                   

  この作品は、”ひとみの内緒話”管理人様から投稿していただきました。