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『見果てぬ夢2』
とっきーさっきー:作
第1話 戻れない……あの日……
篠塚美里の視点
1年前のある日……
「ここも再開発されちゃうのかな?」
わたしは歩きながら、黒目がちの瞳を左右に走らせた。
昭和の面影を色濃く残した街並み。
車がすれ違うのがやっとの細い路地。
その至る所で目に付くのが、街の再開発に反対するおびただしい看板の群れ。
合板を真っ二つに切り裂いた感のある立て看板には、『再開発反対』と書き殴られ
たような文字が。
また、威勢のいい声で呼び込みをする魚屋さんの入り口にも『時田の横暴を許すな』
って。
そうだよね。この街が変わっちゃうのは美里も反対かも。
わたしのお父さんは、その時田グループで働いているけど、そんなの関係ない。
鉄筋コンクリートのビルばかりが並んだ街なんて、息が詰まっちゃうもの。
このお空だって……
わたしはオレンジ色に染まる空を見上げた。
明日も天気かな?
お天気だったら、思いっきり走ろうっと。嫌なことをなんか全部忘れて。
美里は走ることが大好きだから。
グーぅぅっっ!
やだな。お空を見てたらお腹が空いてきちゃった。
こういうときは、迷わずに『ベーカリーショップ 岡本』だよね。
あそこのあんぱんは絶品だし、それに典子お姉ちゃんも旦那様の博幸さんも、とって
もいい人だから。
「おや、美里ちゃん。今、学校の帰り?」
美里が買い食いしようとしているのが、バレちゃったのかな?
お店の引き戸を開ける前に、博幸さんが顔を覗かせた。
「あのぉ~、あんぱん……まだ、ありますぅ?」
学校帰りって言葉が胸に刺さったけど、そんなことくらいで成長期の食欲は抑えられ
ないの。
わたしは博幸さんを見上げて、横目にお店の中も覗き込んでいた。
「う~ん、せっかく寄ってくれたのに申し訳ない。あんぱんは、ついさっき売り切
れちゃって。ごめんね、美里ちゃん」
「え~っ! あんぱん、売り切れちゃったんですかぁ。残念だなぁ」
顔の前で両手を合わせる博幸さんに、お腹のムシも残念がっている。
ググーって。
「でもせっかく来てくれたんだし、美里ちゃん。さ、中へどうぞ」
そんな美里に深く同情してくれたのか、博幸さんが引き戸を大きく開けてわたしを迎
え入れてくれた。
「おじゃましま~す。クンクン……いい香り♪」
焼き立てのパンの香りに、わたしは鼻を上向かせた。
美里の肌と一緒、小麦色をしたパンくんたちが、わたしを出迎えてくれている。
「あら、美里ちゃん。お帰り」
「ただいま、典子お姉ちゃん」
お客さんを知らせるベルが鳴ったからかな?
水色のエプロンをした典子お姉ちゃんが、顔を覗かせてくれた。
「典子。美里ちゃんが来てくれたんだけど、もう、あんぱんは残ってないよね?」
「ええ、さっきのお客様で完売。あっ! ちょっと待っててね。確か試作品が……」
典子お姉ちゃんはポンと手を打つと、また店の奥に消えた。
ちょっと、そそっかしいところがあるけど、美里は典子お姉ちゃんがだーい好き。
美人でスタイルが良くて、それなのに、とっても気さくで優しくて。
お母さんのいない美里に、お母さんのように接してくれて。
1人っ子の美里に、本当のお姉さんのように寄り添ってくれて、いろんな相談に乗っ
てくれて。
血は繋がっていないのに、家族のよう。
ううん、絶対に家族だよ。一緒に暮らしていなくたって。
「美里ちゃん、このあんぱんを試食してくれないかな?」
「えっ、いいの? わぁ、おいしそう♪」
典子お姉ちゃんが持ってきてくれた試作品のあんぱんは、表面が艶々と輝いていて、
とってもいい香りがした。
「いただきま~す♪」
パクっ……ムシャ、ムシャ……
「どう? 美里ちゃん。おいしい?」
典子お姉ちゃんが、お茶を差し出してくれた。
その様子を博幸さんが、目を細めて眺めている。
「ごく、ごく、ごく……ふぁぁ、こんなあんぱんを食べたの初めて。最高です♪
美里お姉ちゃん、もう一個お代わり!」
「あらあら、美里ちゃんは食いしん坊ね。でも、そう言ってもらえると嬉しいな。ね、
博幸」
「ああ、そうだな典子。美里ちゃんのお墨付きももらえたし、早速商品化決定だな。
はははは……」
「もう、博幸ったら、気が早いんだから。それに気が早いといえば、そうだ。ちょ
っと美里ちゃん、これを見てくれる?」
典子お姉ちゃんが、大き目の画用紙をわたしの前で拡げた。
「えーっと、おいしい……焼き立てのあんぱん……あります……? う~ん……」
わたしは黒い墨で書かれた文字を口にした。
ついでに唸っていた。
お世辞にもあまり上手じゃない。
美里も習字は苦手だけど、このレベルなら勝てるかも。
それに余白に描いてある、丸いお饅頭のようなものって……もしかしてあんぱん?
でも湯気まで描いてあるし……
「あんぱんはOKとして、でもこれはねぇ。博幸が張り切って作ってくれたんだけ
ど……」
「これって、博幸さんが……? う~ん、人は見かけに寄らないというか……」
「おいおい、美里ちゃんまでなんだよ。そんなに俺って、センスないのかな」
博幸さんが、顔を真っ赤にして頭を掻いている。
「でも……いいかも? これを引き戸のガラスに貼り付けておけば、意外とお客さ
んの目に留ったりして」
「そうねぇ、美里ちゃんの言うとおりね。ふふっ……」
美里のアイデアに、典子お姉ちゃんの顔が綻んだ。
隣では博幸さんが、ポカンとした顔で典子お姉ちゃんとわたしを見比べている。
雲ひとつない澄み切った秋の夕暮れ。
ほんわかとしていて、まったりとしていて……
いいよね、こんなひと時。
いつまでも浸っていたい。
わたしはオレンジ色に染まった世界の中で、そう思っていた。
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