|
『見果てぬ夢』
とっきーさっきー:作
第24話 男の駆け引き
4月10日 木曜日 午後3時 河添拓也
「どうぞ、こちらへ」
あどけない顔をした女性秘書に通されたのは、『会議室3』と飾り気のない札が貼ら
れた小部屋だった。
部屋の中心を囲むように配置された長机にパイプ椅子。
スチール製の書類棚に、同じくスチール製の台の上に設置された液晶テレビ。
そして、午後の陽射しを避けるためか、窓にはブラインドが降ろされている。
まあ、あえて窓の外を見ようとも思わないが……
「いやぁ、待たせて済まない」
この部屋に案内されて10分ほど経った頃。
雑なノック音と共に、ひとりの男が俺の前に現れた。
見た目の年齢は40代後半……
だが俺の記憶が正しければ、確か54才になるはず。
身長が160㎝に満たないうえに、痩せ気味の体型。薄くなり始めた前頭葉。
やや丸みを帯びた顔立ちに、両端を垂れ下がらせた瞳。
一見すると、朝から家の前を掃除していそうな、どこにでもいる気さくな男のように
も見える。
だが俺は知っている。
この男の本性を……
この男のツマラナイ欲望のために、俺は……
時田金融グループ副社長、篠塚唯郎。
その男は、立ち上がりかけた俺を手で制すると向かい合う席に座った。
「で、どうだ、向こうの様子は……? 少しは現場の仕事にも慣れたかね?」
「はい。おかげ様で……と言いたいところですが、まだ、職員の名前と顔を一致させ
るのが精一杯で……なにしろ、昼飯を食べるとき意外は揃いのヘルメットに作業着姿
では、なかなか……」
「ふふっ。それは、私に対する嫌味かね」
小男が鼻で笑った。
「いえ、滅相もありません。時田金融グループ、建設部2課。私の社員人生を賭け
るのに、相ふさわしい職場だと自覚しております!」
俺は立ち上がり篠塚に向かって一礼した。
頭を下げながら、声に出さない小男の笑い声にじっと耐えていた。
腹の底に蓄積するマグマが、挑発するように俺の心を揺さぶってくる。
理不尽な仕打ちに、仕返すなら今だとけしかけてくる。
だが、今の俺は半月前の俺とは違う。
この屈辱的なセッティングをしたのは、俺自身なのだから……
「ほーぉ。いい心掛けじゃないか、河添課長。だが、そんな殊勝な宣言のために、副
社長である私に会いに来たのではあるまい。ふふ……それで、用件は何かね?」
篠塚の顔つきが変わった。
机の上で櫓のように組まれた両腕に乗せられた顔。
その温和だった表情の裏に隠された野心が、隠しようもないくらいはっきりと表れて
いる。
「は、篠塚副社長のお心遣い、まことに感謝いたします。実は……」
「実は……?」
小男が机の上で前のめりになっている。
かかった……!
内心でほくそ笑みながら、俺は声を潜めた。
「その実はですが、私が指揮を任されている『ニューフロンティア計画』をご存知
でしょうか?」
「ああ、知っているとも。我が社が取得した海岸の埋立地に大規模な工業団地を開発
し、並びにファミリー層をターゲットにした巨大ニュータウンの開発するというあれ
だろ?」
前のめりだった篠塚の顔に、不満の色が滲み出ている。
俺はそれを確認すると、話を更に進めた。
「的確なご説明ありがとうございます。ではそのニュータウンの外れに、全寮制の
私立高校が建設されていることは? もちろん開校を進めているのは、我が時田グル
ープですが……」
「高校? 確か……『洋明学園』と言ったかな。でもあれは、社長の肝煎りで進め
られている独立プロジェクトの筈で、建設部2課の君は関与していないんじゃないの
か?」
不満そうな顔に加えて、今度は声にまで腹立たしさが混じり始めている。
そうである。篠塚が一貫して、この『ニューフロンティア計画』には反対の立場だ
ということは、事情通の者から俺の耳にも入っている。
おまけに反社長グループのリーダーとして、社長の時田謙一が指揮する計画まで口に
したのだから、表情も変わるというものだろう。
「その『洋明学園』なんですが、ちょっと良からぬ噂を耳にしまして……」
俺はそう言うと、数枚の写真とそれを補足するレポートを篠塚の前に並べた。
「これは……? 副島と横山? それにこっちに写っているのは、小宮山? どれ
もこれも、社長直属のゴロツキ共じゃないか。で、なになに? ふふっ、そういうこ
とか。たった、それだけのために……あの男、社長秘書以外にもハーレムをお望みっ
てとこだな。ふふふ……あはははは……面白い! 実に愉快なネタじゃないか!」
小柄な身体には似合わない、大きな笑い声が部屋中に響き渡った。
篠塚は、人目もはばからずに顔の相を崩しながら笑い続けている。
「どうも……お気に召したでしょうか?」
俺は、釣り上げた魚の手応えを愉しんでいた。
天下に名を轟かせる時田の副社長。
それが今、俺の手のひらで踊り始めている。
「はははは……それで、お前の条件はなんだ? まさかだが、この私と組んでこの
時田を乗っ取るつもり……ってことはないだろうね?」
顔を紅潮させた篠塚が、冗談っぽく本音をぶつけてくる。
「副社長、悪い冗談はよしてください。私はただ、会社の行く末を憂い進言したま
でです。そんな大それたこと、私は夢にも思っておりません!」
「会社の行く末を憂いてか……確かに、自分の性欲を叶えるためだけに学校法人を
立ち上げたとなると、我が社にとっても由々しき事態になることは目に見えている。
特に、認可を与えたこの街の教育委員会はおろか、県も更には文部科学省まで監督責
任を問われるだろう。そうなれば、私も河添君も新しい就職先を探さないといけない
ねぇ。いや、時田グループ2万人の社員全員を路頭に迷わせることになる……」
「そこでです。篠塚副社長! しばらくこの案件は、あなた様の胸の内にだけ秘め
ていてもらえませんか? 学園が開校する来年。いえ、半年以内にこの河添が確たる
証拠を掴んでみせます!」
俺はここぞとばかりに話をたたみ掛けた。
野心と小心が均衡している篠塚の心理を衝きながら、話の主導権を完全に奪い去る。
「はははは。いや、頼もしい言葉だねぇ。わかった。この案件は、全て河添君に任
せようじゃないか。 そして今日の話は、きれいさっぱり忘れることにするよ」
「ありがとうございます! 篠塚副社長!」
小男は満足げに頷くと席を立った。
そしてドアに向かって歩き始めて、その動きを止めた。
「そうそう、君には悪いことをしたね。なによりも社を愛する河添君のような社員
を左遷するとは……人事課の馬鹿どもが勝手な判断でしたこととはいえ、監督者であ
る私からも謝らせてもらうよ。それでだ。お詫びと言ってはなんだが、何か要望があ
れば聞いてやらんでもないが……どうだね?」
「は、それなら遠慮なく。『駅前の総合開発』について、ひとつ提案がございます」
|