『きょうこ 歪んだ構図』
 
                    Shyrock:作

第1話

 風香る5月ある月曜日の午前中のこと。
ここは豪壮な邸宅が建ち並ぶ閑静な住宅街。
きょうこ(25歳)は夫の光治(32歳)を仕事に送り出した後、ベランダで洗濯ものを干していたが、突然応接間に置いていた携帯がメロディーを奏でた。

 きょうこは作業の手を止めて応接間に急ぎ足で向った。
「はい、小山田ですが……。あ、俊介さん……。ええ……はい……ええ……そうです……。でも……もう……掛けて来ないで……。あなたとはこれ以上は……。だって私はもう結婚しているのよ。すでに夫がいる身なのよ。あなただってそれぐらい分かっているでしょう?だからもう私には……ええ……はい……お願い、私をこれ以上困らせないで……」

 きょうこは目頭を押さえ涙声を震わせていた。
色白で繊細な顔立ち、細身の身体がこんな時は一層痛々しく思わせる。
きょうこは言葉を続けた。

 「はい……はい……ええ……分かりました。1時ですね。はい、それじゃ参ります」

 きょうこは携帯を切った後、そのまま立ち尽くしていた。
誰が見ても分かるほど表情は険しい。
思い詰めたようにある一点をぼう然と見つめていた。

 ちょうどその頃、応接間のドアの陰できょうこの様子を伺う初老の男がいた。
それは小山田光治の父芳雄(67歳)であった。
彼は小山田コーポレーションという貿易会社を設立し順調に業績を伸ばし、以来、代表取締役の座を守り続けてきた。

 しかし三年前大病を患ってからというもの、めっきり気弱になってしまい、社長の座をまだ若輩の光治に譲り自らは会長に就任した。
会長と言っても名ばかりで、実質的にはたまに助言をする程度で経営にはほとんど関与しなくなってしまった。

 芳雄は病気を患う前、持ち前の商才とバイタリティで多くの成功を収め、一代で企業の地盤を築くほどの傑物であったが、一方私生活では異常なほどの好色家で、妻も生前は相当悩まされたらしい。

 そんな芳雄も勇退後はさすがに寄る年波には勝てず、色恋沙汰からは縁遠くはなってはいたが、長男光治に嫁いで来たきょうこに対し密かに想いを寄せていた。

 とはいってもきょうこはれっきとした長男の嫁でもあり、さすがの芳雄も手を出すことはできなかった。

 五十年以上ほど昔にさかのぼるが、芳雄の初恋の女性がきょうこに似ているらしく、芳雄は友人に信じられないようなことを漏らしていた。

 「今度、長男が嫁をもらったんだが、何とそれが私の初恋に女に瓜ふたつなんだよ。私は久しぶりに胸がときめいてね。がははははは~、青春が再び蘇ったような気分だよ」

 きょうこの携帯に聞き耳を立てていた芳雄は眉間に皺を寄せた。
「あの話の様子だとまた例の男だな。むむむ、何と言う嫁だ。光治という夫がおりながら外に男など作りおって。くう~、許せん……」

 きょうこは携帯をエプロンのポケットに入れ、ベランダに向い、洗濯ものを再び干し始めた。
ちょうど自身のピンク色のビキニショーツを干そうとした時、芳雄が真後ろから現れ呟いた。

 「きょうこ、今日は良い天気だね。これなら洗濯物もすぐに乾くだろう」
「あ、お父様、今日は碁を打ちにお友達の所には行かれないのですか?」
「ああ、今日は行かないよ。友達は今旅行に出掛けてて留守なんだ」
「じゃあ、おうちでのんびりとなさるといいですね」

 「うん、そうだな。ところで、きょうこ、今干しているパンツすごく小さいなあ。そんなのを穿いておるのか?」
「まあ、お父様、そんな恥ずかしいことお聞きになるのはよしてくださいよ」
「そんなに小さければ、アソコに食込んでしまうのではないのか?」
「もう、お父様ったら……」

 きょうこは頬を真っ赤に染め思わず俯いてしまった。
「わっはっは~、恥ずかしいか?それしきりで照れるとはまだ初心だな。わっはっは~!」

◇◇◇

 正午、きょうこは昼食の準備を整え、芳雄に外出を告げた。
「お父様、すみませんがお友達とちょっと食事に行ってきます。お父様のご飯はテーブルの上に布巾を掛けて置いてますので、お召し上がりくださいね」
「うん、ありがとう。ゆっくりと遊んでおいで。私のことは気にしなくていいから」
「ありがとうございます。じゃあ行ってきます」

 芳雄はきょうこの化粧が今日はいつになく濃いような気がした。
(ふっふっふ、女狐め、今にその正体を暴いてやるから楽しみにしておれ)
きょうこが玄関を出た後、芳雄は少し遅れて後をつけた。

 
                

   この作品は「愛と官能の美学」Shyrock様から投稿していただきました