『球 脱獄(推敲版)』
 
                    Shyrock:作

第20話(最終話)夏祭りのリンゴ飴

 「どうしたの?ふたり楽しそうに語らって」
「いや、大した話じゃないんだけどね、2階の引き出しが開いていたもので少し気
になってね」
「あら、そんなことで? いやだわ。お父さんって相変わらず神経質ね。いつまで
経ってもその性分は治らないわね」

 このあと球が参加し旅行の話題に華を咲かせながら、一家団欒のひとときを過ご
したのだった。
両親はまさか数日前、この家に脱獄犯が侵入し、娘の球がとんでもない目に遭った
などとは夢にも思わなかった。

 球もまた悪夢のような衝撃的な事件で受けた深い心の傷をできるだけ早く忘れよ
うとしていた。

◇◇◇

 それから2年の歳月が流れた。
球は高校を卒業後、大学理工学部へと進み、すでに2年生になっていた。
幼い頃から自分でロボットを制作してみたいという夢もあって、機械システムデザ
イン工学科を専攻していた。

 夏のある日、球は彼氏の浩に誘われて、例年開かれている地元の花火大会に浴衣
姿で訪れていた。
花火大会と言えば出店も楽しみの一つである。金魚すくいやヨーヨー釣りを楽しん
だあと、浩とともに談笑しながら歩いていた。

 店頭に並んでいるリンゴ飴を見つけた浩が球に語りかけた。
「球、リンゴ飴を売ってるけどいらないか? 俺、久しぶりに買おうかな?」
「私も食べたいなあ~」
「じゃあ、俺、買ってくるよ~、待ってて」
「おじさん、リンゴ飴、2つくれる?」

 浩が的屋の男性に1000円札を差し出したそのとき、球は何気に店主を見て愕
然とした。
「……!」

 金を受け取ったその男性は、忘れることのできないあのときの男『原口』であっ
た。
原口も球のことを気づいている様子であったが、表情を変えることはなかった。
球の横にいる男性に覚られるまいと気を配ったのだろう。

 原口から話しかけてくることはなかったが、じっと懐かしそうな眼差しで球を見
つめていた。

 「あいよ、じゃあ、お釣りの400円。ありがとうよ~」
「うん、ありがとう」
弘が釣銭を受け取りリンゴ飴を球に手渡したとき、店主は店を立ち去ろうとする2
人を呼び止めた。

 球はその場を少しでも早く立ち去りたいと思っていたから、背筋に冷たいものを
感じた。
「1本、おまけしとくよ」

 弘は笑顔で答えた。
「え~? どうしておまけなんかくれるの?」
「ははは~、何となくかな? いや、隣の彼女、すごく可愛いからかな?」

 「球、お前のことが可愛いって。だからおまけをくれたよ~。やったね!」
「ああ……うれしいな……ありがとう……」
球は原口に礼を言った。

 リンゴ飴を買った球と弘は店から立ち去ろうとしたとき、入れ替わりに幼い子供
を連れた女性が店主に声をかけた。
「おじさん、リンゴ飴ちょうだい~」
「あいよ! 何本かな?」

 球たちが数歩進むと、祭りの喧騒の中で、客の声はかき消されてしまった。
球は過去に負った心の傷が、今夜、少しだけ癒されたような気がした。