『人妻あや 悪夢の別荘地』
 
                    Shyrock:作
第1話 南軽井沢

 それはある夏のことだった。大手商社四菱物産社長の長男であり、まだ三十四才と
いう若さにもかかわらず同社事業開発部長を任されていた山霞俊介は、夏の休暇を利
用して妻のあやとともに、俊介の父が所有する南軽井沢の別荘を訪れていた。

 日頃は家事を家政婦に任せていたあやも居間を豪華な花で飾り、この時ばかりはと
腕によりをかけてご馳走をこしらえ俊介を喜ばせた。
ちょうどその頃、南軽井沢附近の暗い山中を若いカップルが重い足どりで歩いていた。

 男は大きなショルダーバッグを重たそうに担いでいる。
「ふう、疲れたぁ。肩がパンパンに張ってるぜ」
「ねえ、どこかに泊まろうよ」
「けっ、こんな山中にラブホテルなんてあるもんか」
「ラブホじゃなくても一般のホテルとかあるんじゃないの」
「仮にあったとしてもこんな真夜中に一般のホテルに飛び込みで行ったら怪しまれる
だけじゃねえか」
「そうかしら……」
「今頃、俺達のニュースが流れてるかも知れねえし。ホテルに泊まるなんて警察に自
首するようなもんだぜ」
「でも野宿なんてできないし……夏なのにめちゃ寒いじゃん」
「ふうむ、確かになあ……」

 男は笠原真司と言い、女は二宮百合と言う。
彼らは、昨夜、銀座の宝石店を襲い一億円相当の宝石を奪い犯行後逃亡した。
計画は完璧に進行していたはずだったが、たった一つの小さなミスによって脆くも瓦
解してしまったのだった。

 九分九厘成功するかに思われたが、逃亡する際、警報が鳴り響き監視カメラに彼ら
の姿が捉えられてしまったのだ。

 覆面をしていたのですぐに人相は割り出せないだろうが、外見から犯人が男女であ
ることは容易に判別できるだろう。

 逃亡する際、使用した車は逃走経路を欺くために途中で乗り捨て、JRに乗り換え、
さらに山中を駆け巡るうちに南軽井沢にたどり着いた。

 笠原は肩に食い込むバッグの重さに、百合は華奢な足で山中を歩き続ける疲労に悲
鳴をあげていた。

 その時、ふたりの瞳に一筋の光明が差した。
それは真っ暗な山中をさまよう二人にとっては希望の灯りであった。

 「ん?あれは民家かな?人がいるみたいね」
「この辺だとおそらく別荘だろう。だとしたらかなりでっけえ別荘だなあ。くそ~っ、
贅沢してやがるんだろうなあ」
「泊めてくれないかなあ……」
「冗談言うなよ。見ず知らずの俺たちなんか泊めてくれるはずねえじゃねえか」
「そうだねぇ」

 そんな会話の直後、笠原の瞳がきらりと光った。
「やっぱり泊めてもらおうか。腹も減ったしなあ」
「でも断られたらどうするの?」
「ふむ、断われないさ」
「へ~、何かいい考えがあるのね?」

 百合は笠原の自信に満ちた顔を見てにっこり微笑んだ。

 二人は足音を忍ばせ警戒しながら灯りのともる建物へと接近した。
窓からは灯りが漏れ、建物内部から男女の声が聞こえて来る。
レースのカーテンだけを閉めて、照明をつけているため室内が外から丸見えになって
しまっている。

 その頃、あやと俊介は夕食を済ました後、ワイングラスを傾けながら就寝までのひ
とときを過ごしていた。
 
 百合は声を潜めて笠原にささやいた。
「ねえ、どんな方法で入るの?裏へ廻って勝手口を探してみるとか?」
 笠原がきょろきょろと周囲を見回しながら不敵な笑みをもらした。

 「ふふふ、これはラッキーだぜ」
「どうしてラッキーなの?」
「この別荘の周囲に他の別荘はねえだろう?」
「そうね。周りに一軒もないね。で、どこから忍び込むの?」
「そんなコソ泥みたいなことはしねえよ。堂々と正面から突破するさ」

 笠原は意外な策をほのめかした。
百合が唖然としている。

 「まあ、任せとけって」
笠原たちは玄関ポーチに立ちドアチャイムを鳴らした。

 突然のチャイムの音に、それまで楽しそうに語らっていたあやと俊介の会話が一瞬
止まった。
「あれ?誰だろう?」
「そうね。こんな夜更けにいったい誰かしら……」

 あやが微かに眉を曇らせている。
「僕が行くよ」
「ええ、でも誰か分からないし気をつけてね」
「うん、だいじょうぶだよ」

 俊介は玄関口へと向かった。
「はい、どちら様ですか?」
「夜分すみません。隣の別荘の者で笠田と言うんですけど、実はプロパンガスの調子
が悪くて困ってるんです。で、もしガス会社の連絡先をご存知であれば教えていただ
きたいのですが……」 

 俊介はドアモニターを覗いてみた。
防犯カメラが外来者を写し出している。
玄関ポーチには若いカップルが立っている。

 人間の心理とは不思議なもので、訪問者がカップルだと男性一人よりも警戒心が薄
れる。
「プロパンガスが……?そうですか、それはお困りでしょう。すぐにドアを開けます
のでちょっと待っててくださいね」

 俊介はドアモニターに映ったカップルを隣の別荘の住民だと信じ、躊躇することな
く施錠を解いた。